ボンヴィヴァン(伊勢外宮前 ボンヴィヴァン)

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プロフィール 河瀬毅  06/03/14

ホワイトデー終了です。
前日の13日は定休日でしたがケーキの引渡しもありマダムとカフェを営業しておりました。
皆様、沢山のお買い上げありがとうございました。
実は、この日大阪の帝国ホテルでワインのテイスティング会があったのです。その数約200種類!
非常に残念でしたが行けませんでした。200杯飲めたのに・・・。
ま、気を取り直して又、試飲会に出かけて新しいワインを探しますので期待してください。


■水先案内人

私が30歳になるかならないかの頃、ずいぶんこの方にはお世話になりました。
当時若くしてフランス料理レストランを開いて意気揚々としていたんでしょうね、私たち夫婦は。
それが、この方には危なっかしくもあり歯がゆかったのかも知れません。
「河瀬君、お供するから一流と言われるレストランを片っ端から食べ歩こう」
こんな感じで誘っていただきました。「いやいや、私たちが社長にお供するほうですよ」
などと言いながら、驚愕の美食ツアーが始まりました。
朝早く新幹線に飛び乗って、いざ東京へ。昼、フレンチ、夜、高級フレンチ。
その又深夜、六本木のワインバー。ホテルは株主なので、いつもの南新宿から下ったところ。
翌朝から、社長は仕事。昼に赤坂のレストラン前で待ち合わせ。食後一同(4人です)解散。
5時に再び集合。(早くレストランに入らなければ新幹線に乗り遅れる)
帰りの車中でディスカッション。とまあこんな感じです。よく胃がもったものです。
神田アルピーノ、シェイノ、ロオジェ、ビストロサンノー、クイーンアリス、ひらまつ亭、アピシウス、レカン、レストランヒラマツ、コートドール、ジョエルetc
西は少なくて、ル・ランデブー(ステファンランボーさん、懐かしい)ジャンムーラン、ヴァンサンク、アランシャペルなどなどです。もちろん地元である志摩観光ホテルには真っ先に伺いましたよ。
ほとんどが社長の選択で、当時日本での最先端をいくレストランばかり。
東京の2大マダムとの評判のビストロサンノー、ひらまつ亭を選ぶあたりで私たちはすでに社長の本心を察し、ありがたく思うと共に必死でレストランの勉強をしていました。
私はもちろん料理とワインの味を覚え、料理と料理の間の間隔の時間の大切さや、皿に当たる照明ひとつで料理が輝いて見えることなどソフトな部分ハードな部分をいちいち書くとキリがないくらい学びました。
ウチのマダムはそれぞれの店の接客を肌で感じ、ハートで吸収したような感じがします。以前にも増しておおらかで温かみのあるサーヴィスに拍車がかかったようでした。

ひらまつ亭が広尾にレストランヒラマツとして華々しくデビューした、まさにその夜私たちは食器棚の近くの一番奥の席に陣取っていました。
「たまにはご馳走させてください」と私。その気になっていた社長は、しばらく分厚いワインリストを熟読した後、(社長は酒類の大問屋でワインはおてのもの)
「明日のお昼におごって貰うよ」と豪快に笑い、ソムリエにワインを注文しました。
大事に大事に運ばれてきたのは、なんとポムロールのシンデレラワイン、シャトーペトリュス1983!
1983年はボンヴィヴァンが開店した年。粋な人です。しかしペトリュスとは恐れ入りました。
まるで金魚鉢のように大きいグラス。「このワインは香りも凄いんですよ。ゆっくりゆっくり眠りから目覚めますので
少しづつ注いでいきますね」とチャーミングな笑顔の女性ソムリエ、若き日の田辺由美さん。
エレガントで心温まるサーヴィスでした。
平松氏の料理を(なま平松氏にお目にかかったのはあれが最後)田辺さんがサーヴィスするワインと共に楽しむ。
本当に貴重な体験をさせていただきました。
このように私たちは社長に連れられるようにして、一段一段と果てしなく続くフレンチの階段を上がって行きました。
今思うと、あの頃が一番レストランを楽しめていたのかも知れません。
クリストフルのナイフ、フォークが出ただけで飛び上がり、ヘレンドやジノリのカップを見て大騒ぎでしたから。
そんな私たちも途中からは自力で上り始め、はたして今何合目辺りに居るのか解りませんが、あなた様のおかげで階段を踏みはずさずここまで登ってこれました。心より感謝しております。
どうかいつまでもお元気で居てください。



 

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