ボンヴィヴァン(伊勢外宮前 ボンヴィヴァン)

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プロフィール 河瀬毅 


■シェ・ジャニー(09.09.16)

青空の下、何もかも曝(さら)け出して大の字になった。9月に入ったと言うのに太陽は情け容赦なく、ガンガンと強い日差しを浴びせかけてくる。
伊勢志摩国立公園。薄目を開けて横を見やると伊雑の浦の海面が波に揺れてキラリと光った。
月曜日昼下がり、リゾートホテルの閑散とした露天風呂。
平たい石。尖った石。丸い石。
それらは組み合わされて、風呂とその脇の平らな部分を囲んでいる。
僕は、具合の良い石を枕に見立てて水深僅か5cmの湯床に寝そべり真上から太陽の直射を受けていた。

状況を、わかっていただけるでしょうか?
誰も居ないのを良いことにして僕は思う存分自由気ままに寛(くつろ)いで日光浴を楽しんだのです。
人気(ひとけ)のある海水浴場では、決してすることが出来ない野放図な姿にみるみる気分が解放されていく。
グワーっとだらしなく大口を開けて長ーい溜め息をつく。
一体自分は、どうしたと言うのだろう?

確かに刺激的な三日間では、あったと思う。しかし、こちとら忙しい時は100人からのお客様と真剣勝負をしている身。
疲れたなんて弱音を吐くヤワな体ではありません。

まず激動の三日間の説明を始めるとしましょう。
ある日、高名な料理研究家である上野万梨子氏が、岩手県安比高原にあるレストラン・シェ・ジャニーを訪ねました。
そして店主である春田光治の料理に脳天を直撃された。
そんな彼女の御膳立てで、かつて渋谷で勇名を轟かせたレストラン・シェ・ジャニーは、2日間に限り古巣の東京で、つかの間のレストランとして田園調布に復活したのです。

類いまれなる美的センスの持ち主が主宰する眩(まばゆ)いばかりの料理スタジオ。
清潔な床。なんて物じゃなくせっせと拭き込まれた30cm角の薄いベージュ色のタイル。
その上に伝説の料理人春田光治が、立ったのです。
助っ人の僕は、30年ぶりに師匠の横に居た。いや、白状すると昔は隣ではありませんでした。 

作業台を挟んで反対側の洗い場に近い地味なポジションが僕の指定席だったのです。
でもここで昔の話は、よしましょう。今は紛れもなくお傍(そば)に居るのですから・・・。
役目はアミューズ(付きだし)製作と調理補助。
試作の料理は、数品の駄目出しをくらいながらも二品生き残りました。

しかし、その話しも無しとしましょう。
僕が、心地良い達成感を感じて大あくびをしたくなった要因は、そこら辺りの話しではないのですから。
劣等生で不義理だった僕が、再びジャニーの仲間に入れたのは、先輩の奥さんが亡くなられ、通夜の席でご一緒してからです。
あれから何年経ったのでしょうか?
よっちゃんは、ようやく元気を取り戻して時々は電話をくれるし、久しぶりに会ったジャニーは、相変わらずパワーが漲っている感じ。
元スーシェフのハモさんは、盛岡のレストランを閉店して、今は野菜の生産者に顔を変えていました。
このようにして時間は止まらず、みんなそれぞれの人生を歩んでいる最中に今回の舞台に出席する機会に巡り逢えたのです。
田園調布の女神のおかげで・・・。

さて、それではショーの始まり始まり。
ジャニーの料理を心待ちにしていたお客さまで2日間のテーブルは、すべて埋め尽くされ白い空間に幸せが渦巻く。
黒子の僕は、なるべくキッチンの一番奥に居ることを心がけました。客席からは、ジャニーが料理している手元も匙加減(さじかげん)も手に取るように見える。
その間にずうずうしく割り入るのは、なんだか野暮で気が利かない。
それに、こちら側に陣取ると料理するジャニー、盛り付ける皿、幸せそうなお客様の笑顔という順番で一同に眺められる。
30年前、洗い場にへばり付いて、戻ってきた皿のソースをなめ回していた僕も、今や曲がりなりにもシェフをしている。

ジャニーが、鮑の肝を炒めてフランベした。ボールとムーラン(裏濾し器)の用意。
鮑のソーテもそろそろ完成。まな板と包丁と布巾の用意。まな板がグラグラしないように濡れタオルを下に敷いて固定するのを忘れずに。
皿を並べるタイミングを計る。冷めないように素早く盛り付けなければいけない。
もちろんお客様の目を意識して立ち居振る舞いは、落ち着いて綺麗にみせなくっちゃね。そんな余裕も持てるようになった。

神様が目の前で鍋を操り、料理と言う贈り物を、奥様が速やかにお客様に配る。
そんな夢のような出来事に身を置いたからなのか、伊勢に戻っても僕の胸はいっぱいいっぱいになり、休息を求めた。
余韻に浸ろう。もう一度、ひとつひとつの出来事を思い出しながら頭の中でなぞってみる。

フェアーの前日、再会を喜び神楽坂のスペインバルでジャニー達と飲む。その後駅に向かう。途中コーヒーショップでエスプレッソをすする。
東西線に乗るジャニーと別れた。翌朝リブレで上野万梨子氏と対面する。美しい方だ。それにしても、このこだわりの空間はどうだ。
ジャニー到着。黒のTシャツに着替えて仕込み開始。昼の部スタート。成功。賄いでトリップを食べる(一同感動)3時ジャニーお昼寝。
僕たち4人(僕、マダム、ハモさん、脚立)は、自由が丘まで歩いてパリ・セヴィイユにて驚愕のケーキに舌鼓を打つ。夜の部開始。成功。
夜食を食べに中目黒のビストロに行く。中川シェフと25年ぶりの対面。ずうずうしく厨房に入り、鮑の料理をジャニーに食べてもらう。超深夜ホテル帰還。
二日目の昼の部、成功。賄いは、上野万梨子氏のお料理。旨い!これまた感動。その後ジャニーお昼寝。僕たちは田園調布散策。最後の夜の部もスムーズに動く。
最終新幹線に乗るために後ろ髪を引かれながらも慌ただしく裏口から退出。別れ。

僕は、露天風呂に横たわりながら、ジャニーと過ごした時間を脳裏に浮かべた。そして、もう一度大きく伸びをした。

人生は面白い。何をしても夢中になれなかった僕が料理に目覚め、ジャニーと出会い、触発されて一生の仕事となった。
その後の料理人人生の下り坂、そろそろ休憩しようかと考え始めたら、まだまだ先頭切って走り続けている春田光治の背中が見えた。
振動する筋肉。ほとばしる汗。どうだと差し出された胃袋の料理。
僕は、まだまだ追いかける。

 

 

 



 

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