■旅立ち(09.12.13)
新郎の父でございます。皆様、本日はお忙しい中をお集まりいただきまして誠に有難うございました。両家を代表しまして厚くお礼申しあげます。
沢山のお祝いや、お言葉。そして感動の涙まで頂戴しましたことは、私ども親として感無量の思いでございます。
この御縁によりまして息子はかくも可愛らしい女性を妻とし、私はと言いいますと見るからに立派な兄貴・・・いやいや、親分を得ることが出来ました。
岡田家の御親族御親戚の方々そして岡田家ゆかりの皆様方どうか今後とも若い二人と同じく末永いお付き合いをお願い申し上げます。
思い返せば、6年前。この場所でレストランを開くにあたりまして、ひとつ思ったことがあります。
文化と教養の香りがする美術館。そして緑の芝生が豊かな解放感あるこのテラスに人々が集い、賑やかなレストラン・ウエディングが出来たらさぞかし楽しいだろうな・・・と、そんな風に漠然と考えていたのです。
それがまさか自分の息子によって実現するとは夢にも思っていませんでした。
この披露宴は、ミュゼ・ボンヴィヴァンと伊勢の外宮前ボンヴィヴァンのスタッフが力を合わせて進めました。
自分で言うのもなんですが、私が26年間走り続けて育てた中で最強のメンバーだと思っています。
そのチーム同士が一日限り、この披露宴のためにひとつとなり、皆様方と一緒に楽しい時間を過ごせましたことは、私にとって何にも代えがたい生涯の思い出でございます。
どうか皆さん、そんな彼らに労いの拍手を贈ってくれませんでしょうか。
そして、私たちの無理難題な注文を快く引き受け、最高の宴を演出してくださいました、司会進行の島田さんとアシスタントの方にもどうか盛大なる拍手をお願いします。
皆様、この披露宴は決して豪華絢爛とは申せませんでした。天井まで届くようなウエディングケーキがあったかと申しますと・・・大学ノートより少しは大き目のケーキでございました。新郎が、数少ない商品から選んだ貸衣装のズボンは、お腹をへこませて無理やりジッパーをずり上げました。上着で隠れて見えませんが実はパッツンパッツン状態なんです。それでも、それでも私は、この披露宴は、素晴らしかったと声を大にして言いたいのです。
皆様方のおかげで、皆様方と、このようにして心に残るお披露目式が、出来ましたことを心より感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
息子の新しい人生。
子供の成長は早い。26年前、僕は義母と分娩室の隣の控室で固唾を飲んでいました。もうすぐ、もうすぐ。その内にテレビで見る光景のように、おぎゃあおぎゃあと元気な産声が部屋中に響き渡るはず。
しかし、こぶしを握り締めて耳を澄ませても妻が息む声しか聞こえない。
しばらくするとガシャーン、バターンと大きな音がして誰かの慌てた声が聞こえました。
何事かと義母と顔を合わせる。
「たけちゃん、先生が引っ張り過ぎたから赤ちゃんが勢い余って壁まで飛んでったんと違うやろか・・・?」
初孫と言うこともあり、焦って真顔で心配する義母。
「おかあさん、そんなコントみたいなことを言って。」誰かが蹴つまずいて発した音だと推測しながらも、元気な鳴き声を聞くまで心配してしまいました。
1983年4月19日。そんなこんなで、お騒がせ翔太はたんこぶひとつ無く誕生。
太く翔け!
僕は厳格で無口な父と、そんな父に気遣う優しい母親の下で育ちました。偉大な父親にピリピリとした空気が家じゅうに漂い、いつもビクビクしていたような気がします。
何をするのもダメダメで、友達との羽目を外した遊びの中で肩身の狭い思いをしたことがなかったとは言えません。
結局、高校生活では家に馴染めず放浪を繰り返し、それでも自分の羽で力強くはばたけなかったのは、縮こまってしまった僕なりに両親への気兼ねがあったのかも知れません。
上手く言えませんが、葛藤のようなものでしょうか。お坊ちゃんでもない僕は、籠の中のセキセイインコでは、いられなかったのです。もっともっと自分の可能性を求めて飛び出したかった。でも反対される。どうしても出たい。そんな繰り返し。母親の泣き顔が心に残り、飛び出したはいいが何をしていても心が晴れない。そんな16歳でした。
アメリカやオーストラリアにでも親の協力の元で積極的に短期留学している子たちから見れば信じられない話かも知れませんね。
そんな経緯もあり、自分の子供達は、僕の顔色を見ずに伸び伸びと育って欲しいと願い、翔太と名づけました。今でこそポピュラーな名前になりましたが、当時は非常に珍しかったと記憶しています。ところが翌年から翔という字が当用漢字に認められて沢山の人が使うようになりました。
ちなみに次男は、駿平。大平原を駆け回る駿馬のように逞しくしなやかで自立心溢れる男になって欲しい。
こちらも翌年から年号が平成に変わり、平を付ける名前が流行してしまったのですが、名前に希少も多数もない。名づける親の思いが大切だと思うのです。
名は体を表す。
名で体を表してくれ。強(つよし)と言う名で臆病者では笑っちゃいますからね。
5ヶ月後にボンヴィヴァン開店
レストランの進化と共に息子もすくすくと育ちました。料理に行き詰まり経営でも挫けそうになった時、息子の無邪気な顔を見て気力を奮い立たせる。
自転車の荷台に乗せて銭湯の帰り道。ゆでダコのように真っ赤な顔をして僕にしがみつく息子。腰辺りに小さな力を感じる。健気な力。父親に寄り添い父親を頼る。
「父ちゃん、ゆっくり走って!」「お尻が痛いで。」
僕は随分子供に元気を貰いました。そしてありったけの愛情を返しました。今まで、どんな困難が息子に襲いかかっても立ち向かい、解決に心血を注ぎました。
そして、この日を迎えたのです。
宴最後の題目。両家を代表して新郎父親の感謝の言葉。
泣きますよ、シェフは絶対に泣きますよ。
僕を茶化していたスタッフたちが、そのシーンを見ようと虎視眈眈と狙っている。
しかし、スタッフの予想に反して不思議と涙は出ないものなんですね、こういう場面で父親は。
悲しい時は泣いて嬉しい時は喜ぼう。
幸せな家庭を築け。笑顔を絶やさず、何事も本音で語ることが出来る親子。
それが何より一番だと思う。