■料理人の原点(08.06.18)
無邪気でした。自分で言うのもなんですが活発で明るい子供だったと思います。
授業が終わって校庭で遊びに夢中になっていると、校内放送が流れてね・・・○年×組のカワセタケシ君、至急職員室に来て下さい・・・なんて呼び出しがかかるのです。
なんだろう?慌てて駆け足で担任の先生の所へ行くと・・・たけちゃん、今日は飲み会があるから、私の自転車を家に届けといて。なんて気軽に頼まれたりする子供でした。先生公認の自転車通学です。
とは言うものの帰り道には長い坂があって、ほとんど押して帰るはめになっちゃうんですけどね。
のどかな時代でした。もちろん当時から塾に通う子はいました。寄り道せずに真っ直ぐ帰宅する子も大部分を占めていました。でもね、生徒と先生の関係は実におおらかだったと思います。
そのおかげで嬉しい事に今でも先生は僕のレストランに食べに来てくれます。もうお婆ちゃんになってしまいましたけどね。当時僕は、作文と体育だけが好きだったんです。先生によると、どうやら当時の僕が書いた作文を箪笥の奥にしまい込んであるらしい。小学校の時、僕は八百屋になりたかったんです。八百毅(やおたけ)。
やおやのタケちゃんです。
「いらっしゃーい!奥さん、きょうはかぼちゃが安いよ・・・」 なんて、そんな書き出しで始まったような・・・。
その頃、友達同士の誕生会が僕たちの間で流行しました。女の子が5人、男の子が3,4人。
いつの間にか固定メンバーになり順番に主役を演じていました。
女の子はみんな可愛くて・・・クラスの中心メンバーばっかり。おまけにお父さんが、パイロットや船長さん、県庁の偉いさんだったりするものだから、遊びに行くと立派な家ばかりで驚いてしまいます。
おかげ様で僕は見たこともないようなご馳走をちゃっかり口にしていたのです。
出前の寿司は初めて。と言うか父親が、酸っぱい物を食べないので、寿司は御薗村の婆ちゃんが持ってきてくれる、かんぴょう巻きか、おいなりさんしか知りませんでした。おまけに自家製ケーキを食べたのもこの誕生会。
紅茶なる飲み物を初めて口に入れたのもそう。そう言えば、それぞれの母さん達は、みんなママと呼ばれていました。なんか、俺って場違い?
校庭で泥だらけになって遊ぶ子ですよ。月に一回は、先生の足も付かないような自転車を乗り回す、やせっぽち
の坊主が、立派な屋敷にお呼ばれするんですから。今思うと不自然でおかしい。
ただ、正当な理由でドアチャイムを鳴らせるのは嬉しかったですね。
その頃ドアチャイムは珍しくて、僕たちにとってのインターホンは、ただ、押して逃げる遊び道具でしかなかったんです。
話を戻しましょう。ドアが開くと大抵、どの家も玄関にはゴルフバッグが置いてあり、生け花が飾ってありました。
とにかく見るもの聞くもの口にするものの全てが珍しい。僕は、およばれの誕生会が終わるやいなや近くの墓の
周りで遊ぶ友達たちを集めては、墓石に腰掛けてたった今、経験した出来事を得意げに話しておりました。
ところで、インターホンで思い出しました。当時珍しい物が他にもあったことを。
退屈になると、誰かが言い出します。梅花堂の自動ドアを踏みに行こうって。自転車のタイヤで踏んではドアを開けさす。阿呆でしょ。勝手に開く仕組みがわかんなくてね。それに飽きるとオカダヤのエスカレーターでひとしきり遊ぶ。・・・阿呆でしょう。階段が動くのが面白くて面白くて・・・。
そして又、誰かが言います。同じクラスの東さん(アズマ)を見に行かへんかって。大きな家で大きな庭があって池には大きな鯉が泳いでいました。
僕たちはその上に建つ無料市営住宅のアパートに住んでいる友達らと柵にもたれながら見るとは無しに眺めているんです。大きいな・・・・。こんな家に住みたいな・・・・。陽が燦々と当たる長い廊下が見える。
「おっ!たけちゃん。アズマが出てきたぞ!」と、誰かが叫ぶ。一同ざわめく。
もちろんアズマは下界の(土地的には、上方)俺らには、まったく気が付かない。
「た、たけちゃん!アズマが本読んどる!」「何!リボンか、芽生えか・・・!」(当時の女の子の読み物)なんて当時からウケ狙いの発言をする僕。ソファーなる物に行儀良く足を揃えて文学全集を読むアズマ。
遠いなー・・・。隔たりを感じる。
鍵っ子。そんな言葉が生まれた時代。習い屋さん(塾のこと)にも行けず、ユニフォームを着て野球を教えてもらったり、ボーイスカウト、鼓笛隊なんて別世界の話。夢の又夢。
牛虎(地元のスーパー)の5円コロッケか駄菓子屋で売ってる菓子パンをかぶりつきながら女の子見てギャーギャー騒ぐ昭和の阿呆ガキ共。
遊び疲れて家に帰り、お腹が空くと魚肉ソーセージやじゃがいもを同じ大きさに切って油で炒めて、ご飯のおかずにする。
具無しインスタントラーメンを作り最後に溶き卵を入れて、ひと煮立ち。即席卵ラーメンの完成。
旨い熱いと一人でつぶやく淋しい子供。
これが、料理人カワセタケシの原点です。
料理するって言ってもたかだかインスタントラーメンを工夫するだけなんです。卵に飽きたら野菜を入れたりご飯を入れたりね(笑)
それはもう嫌ってくらい食べました。これも、かぎっ子の宿命ですから。
サッポロ塩ラーメン、サッポロ味噌ラーメン、出前一丁(ごまラー油付き)、金ちゃん、マルちゃん、明星チャルメラ、エースコックのワンタンメン。そう言えばインスタント焼きそばに、日清すきそばと言うのがありました。
すきそばのすきはスキヤキのスキ。焼きそばを食べるとスキヤキの味が口いっぱい広がる。
なんて幸せな焼きそば。今思うと変な感じなのですが、その頃は妙に美味しくてやめられない。子供だからこそ、はまる味なんでしょうね。
牛肉が、いつもいつも冷蔵庫に入っている訳がない。しょうがないからネギや白菜を刻んで入れる。白菜なんてと
笑わないでくださいね。水炊きが大好物の父親のために、母は野菜を欠かさなかったのです。
懸命に働いて、父親が帰宅する時間のギリギリに帰ってくる母親。
又、怒られるんじゃないかと子供ながらにハラハラする僕。
今思うと水炊きは、そんな母親が素早く出来る、都合の良い料理だったのでしょうか。
酢が苦手な父親は、ポン酢が合うことなんて知らない。
我が家の水炊きは、大根おろしと醤油。無口な父親の前で静かに味気ない白菜を食べる僕。
そして、それが僕の思い出すおふくろの料理。
誕生会のご馳走は、僕に料理の華やかさを教えてくれました。
特にアズマの誕生日にお呼ばれした時に初めて食べたちらし寿司は、旨かった。
海老や蟹の赤。味を含ませた椎茸や、錦糸に切った卵の黄色と絹さやの緑が彩りを添えて、見ただけで心が躍る。
それはそれは美味しかったですよ、お義母さん。
手術が終わったら、一緒に暮らしましょう。今度は僕が、あの味に負けないような料理を作りますからね。