■受け継がれる味 (06/07/29up)
夏の夕暮れに、あかね色の空を見上げながらいそいそと焼肉屋へと向かう時が好きです。
暑かった一日は閉じようとして、心地よい風が吹き始める。肘に頬に首筋にと風は優しく当たり、これから始まる肉喰らう気分を高揚させる。
せんまい、ナムル、ユッケ、ビビンバ、キムチ。 カルビ、サンチュウ、クッパ、ホルモン。
だらしないほど食いしん坊の私の脳はこれらの言葉に曲をつけて、マイ行進曲が流れっぱなしだ。
炭火の炎。しっかりと編みこんだ錫色の網。手前には小皿に注がれた秘伝のタレ。そして肉。肉。肉。
ああ、なんと簡潔で力強い料理。ストレートにハートと胃袋を直撃しやがる。
伊勢には十々と言う素晴らしい焼肉屋さんがあります。
通ってまだ七年ですが、いつも幸せな気分にさせてくれるお店です。レストランのような心遣いがあります。
生せんまいやユッケは僕にとって前菜の料理。
フランス料理店に例えるなら、フォワグラのテリーヌや鹿肉のカルパッチョみたいなもので間違っても魚料理の後に出したりしないものです。和食なら鰻の後にしめ鯖は食べませんよね。
マイ行進曲の様々な料理を同時に注文しても、この店はフランス料理店のような心配りで、ビールを出してから、さりげなく当然のようにユッケが登場します。
繊細な神経が根底に脈々と流れていながらも、豪快にじゅうじゅうと肉を焼いてワイワイ出来る賑やかさを
兼ね備えています。
ひとつの網を囲んで、少し行儀悪く美味しい肉を、楽しく食することにかけては、バリバリ亭も良いですね。
ここは、息子の仲間がアルバイトしている事もあり、訪れる頻度は、こちらの方が多いかも知れません。
なんの気取りもなく素に美味しいんですよ。僕はここの店の味に舌が順応したような気がしていたんです。
先日、一年ぶりに十々に行って来ました。
清潔な店内に漂う美味しい時間。見事な肉。当然のように何もかも美味しい。
おいしい! おいしい・・・ おいしい!?でも何か異質な美味しさを感じる。
ようやく気が付きました。七年も通いながらどうして今まで解らなかったんでしょう。この店のおいしい味に
僕の中で特別なからくりがあることを・・・。
久しぶりに頂いた十々の焼肉。
食べる前からここに来た喜びでワクワクする、私たち家族。
ユッケビビンバと一緒にユッケが来たら嫌だなーと訝る息子達。大丈夫。ここの主人は絶対にそんなことはしない。
オーダー表を見て、この客はこういう風に食べたいんじゃないかと厨房で考えてくれる人。
自分の段取り本位より客の心をちゃんと読み取れる人なんだから。
だから僕はこの店が好きなんだと思っていました。
昔々の話。私が小学生の頃、父親は単身赴任で名古屋に居りました。月に一度ぐらいは家族で食事をということで
初めて焼肉なるものを食べたのです。どこの子供も同じですよね。あまりの焼肉とやらの美味しさに度肝を抜かれました。
味道園には優しいお母さんがおりました。いつも笑顔で私たちを迎えてくれましたっけ。
ドアを開けると少しのテーブル席と厨房。 「坊主すべるなよ。」 ・・・せんまい、ナムル、ビビンバ、キムチ・・・
もちろん当時の私にそんなテーマ曲はありませんでしたが、嬉しくて興奮して脇の階段を駆け上がる私の背中に確かそんな言葉をかけてもらったような気がします。
兄ちゃんと競争のように食って食って、肉がなくなると今度はタレをご飯にかけて又、食べました。・・・満腹。
歩いて帰路につく。父さん、お腹いっぱいで歩けやん。しょうがないな・・タクシーで帰るか、母さん。
尼辻の交差点の朝日タクシーへ駆け込んで、徳川山の天理教の前までお願いします。
私は体の大きな兄ちゃんを制していつも助手席に収まった。背後から恐い父親の声が聞こえる。
チビが前に乗るから後ろが狭いじゃないか!・・・でも、怒られてもいいんだよー。
前と後ろじゃスピード感が全然違うんだから。
無邪気だったあの頃の、私の大切な思い出の宝箱。その宝箱が開く。
あの時のタレの味がしっかり息子に受け継がれ、だから私の心にしみるんだ。
お父さん、そんなに怒らんといて。たけしは自動車が大好きなんやから。
父親を優しくたしなめた母は、もう今は全て記憶を失くしてしまった。
家族でモリモリ食べた、あの味道園の焼肉の思い出を忘れてしまったことが、私には悲しい。
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