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■義母(08.10.01) 皆様、本日はお忙しい所お集まりいただきまして誠にありがとうございます。 私は、喪主を勤めました恵子の夫で河瀬と申します。遺族を代表しましてひと言御礼の挨拶を述べさせていただきます。 真夜中からの激しい雨。明け方の雷。きょうは、これから一体どうなるのかと心配した天気でしたが、嘘の様に晴れ間が覗きました。こんなにも爽やかな秋空の下なのに、私たちの心はとてつもなく悲しくて、涙を堪えるのが精一杯でございます。とは言うものの、あえて不謹慎なことを申し上げますと、私たちは母が痛みの辛さに耐えて天国に旅立てたことに、深い安堵の気持ちを抱いているのです。 もう義父に逢えたでしょうか。12年ぶりの対面で話に花が咲いていると思います。そんなことを想像していると、淋しさの中にも嬉しさを見つけることが出来るのです。ですから、皆様ご安心ください。 私たちは、大丈夫です。残された者が力を合わせて生きていきますので、何卒これまで同様に変わらぬ親戚付き合いをしていただきますよう宜しくお願い申し上げます。 本日は、本当にありがとうございました。 電話が鳴った。すぐに来て。僕はオーブンに入れたばかりのシュー生地の面倒をパテシエに頼んで厨房を飛び出した。あと5分早く到着すれば間に合ったのかもしれない。 僕は、その日いつもと違うやり方でシュー皮を仕込んでいた。バターを入れた水が沸騰したら粉と合わせ中火にかけて混ぜ合わす。ひとつにまとまり鍋底にうっすらと膜が張れば、火を止める。時間にして10秒位のものか。 全卵と一緒に練り上げた生地を焼くと、ふっくらとしたシュークリームが、出来る。僕はこの手順で25年間作ってきた。 しかし、この日はやり方を変えた。銅鍋の中の水とバターは沸騰した。粉を入れて慎重に火を入れる。 いつものタイミングはすぐに訪れる。しかし、まだまだ・・・。僕は柄を握り、ひたすら木べらを動かす。5分以上火を入れられた生地はグルテンの粘りで卵を欲しがっている。溶いた卵は、あっと言う間に吸収されていく。通常の分量より5割も多い勘定だ。 普段より少しこんもりと絞り出し、卵を塗ってオーブンに入れる。 失敗の危険を伴うが、この方法で行えばシュー皮は一段とカサカサして、見事にプクッと膨らむ。 あたかも一枚一枚そっと葉を剥がせるような愛らしいキャベツのようなシュークリームの完成です。 この菓子は、義母の大好物。きょうも見舞いに娘や孫が集まって来る。 僕は、その輪の中心に真ん丸のシュークリームを置きたかったのです。 台風の金曜夜はキャンセルが相次ぎ臨時休業。スタッフは家路に着き、厨房に残るは、僕と数人。 シュークリームを病院にいるみんなと一緒に食べようなどと思い付かなければ良かった・・・・。 結果的に言うと最期に間に合わなかったのだから。 話を元に戻そう。僕は携帯電話をポケットに押し込み、車を飛ばして病室に着いた。そして静まり返った部屋に全てを悟った。 死。・・・悲しい?もちろん悲しい。当たり前でしょう。 病魔に冒されず、痛みも無いなら生は永遠であって欲しいと心から願う。しかし、手術や療養で回復の見込みもなく日一日と胸をかきむしる様に苦しむ毎日なら僕は、いつまでも生き続けて下さいとは祈り難い。 こんなことを申し上げると、人格を疑われてしまうかも知れません。しかし刻一刻と悪化していく義母を見るにつれ僕は御霊(みたま)に手を合わせました。お義父さん、そろそろ迎えに来て下さい。貴方の軽快な話術で再び、義母を楽しませてあげてくださいな。 そして、その日を迎えました。それでも悲しい?当たり前でしょう。でも、嬉しい。いや違う。誤解を受けるようなことを言ってはいけないと思う。第一そんな生半可な心境ではない。僕たち家族は、母を深く愛していたのです。 大好きだったから胸が張り裂けるほど辛く悲しい。でも大好きだからこそ、もう見ていられなかったのです。子供の頃、ひねくれてクソババアとののしった孫は、みんなが帰った後に鳴咽しました。 そんな僕たちの悲しい気持ちと義母自身が楽になって良かったと思う安堵の心。感情に整理を付ける間もなくお別れの日は、やって来ました。娘たちは、棺に花をいっぱい入れて五人の孫は寄せ書きを添えた。そして僕は口元にそっと愛らしく膨らんだシュークリームを置く。別離。今から僕は長女の夫として責任を持ってセレモニーを速やかに進行させなくてはいけない。 泣いてはいられない。メソメソと泣いてばかりでなんか、いるものか。 複雑に思いが入り混じった僕の脳は、時に驚く程、明晰に、しかし大抵は大馬鹿振りを発揮した。病院からの搬送。葬儀社の手配。斎場の予約。役所の手続き。墓場の段取り。食事の手配。
義妹夫婦たちと相談しながら物事は、とどこおりなく進んだ。 無事に十日祭を済ませた今、ようやく僕は、リニューアルされた台所に座り、亡き人を偲びながら思いを綴っています。 隣には待ちに待った貴方が僅か2週間だけ暮らした真新しい部屋がある。病院から近いので、そのまま車椅子で家に入り、台所も風呂もトイレも自在に動ける空間になったばかりなのに。 料理しか能のない僕は貴方へ貴方の体に優しい食事を作りたかった。チャラララチャララララーラ、チャーチャチャララララー。 ベッド脇に取り付けた無線のボタン。か細い指の精一杯の力で押さえると、僕たちを呼ぶ音が家中にこだまする。 この物悲し気なメロディを聞くことは、もうない。