■BackNumber ・No.3(2/09) ・No.4(2/14) ・No.5(2/23) ・No.6(3/10) ・No.7(3/14) ・No.8(3/21) ・No.9(4/5) ・No.10(4/6) ・No.11(4/17) ・No.12(4/24) ・No.13(5/11) ・14(5/23) ・No.15(6/10) ・No.16(6/26) ・No.17(7/9) ・No.18(7/29) ・No.19(08/18) ・No.20(9/7) ・No.21(10/3) ・No22(10/21) ・No23(11/14) ・No24(06.12.7) ・No25(07.1.6) ・No26(2.10) ・No.27(3/7) ・No.28(3/25) ・No.29(4/29) ・No30(5/11)・No31(6/5)・No32(6.22)・No33(7.20)・No34(8.9) ・No35(9.4)・No36(10.05) ・No37(10.28) ・No38(11.27) ・No39(.01.10) ・No40(2.27)・No41(4.10) ・No42(05.11)・No43(06.18)・No44(07.21)・No45(08.23)・No46(10.1)・No47(11.19)・No48(09.1.09) ・No49(3.11)・No50(5.19)・No51(6.18)・No52(8.28)・No53(9.16)・No54(12.13) ・No55(6.5)・No56(10.30) ・No57(11.2.4) ・No58(11.6.29) ・No59(11.11.11)
■ルノー一筋(08.05.11) かつて、フランスの自動車メーカーであるルノー社にはアルピーヌという偉大なブランド名が存在しました。 英国に置き換えるとジョン・クーパー氏のミニクーパー。イタリアなら、アバルトやデ・トマソなどと同じかも知れません。 当初、アルピーヌは、ルノー車のチューンナップを行いゴルディニと共にヨーロッパ各地のラリーコースを席巻しました。ワクワクするほどマニア垂涎(すいえん)のアルピーヌA110を擁(よう)するアルピーヌ社は、1970年代にルノー傘下となり、ルノー社におけるモータースポーツ界の花形となったのです。 断っておきますが、ポルシェやフェラーリのように特権階級の車ではありません。もともと1100ccから始まった小型軽量のスポーツカーです。フレンチブルーに塗られたA110は、車好きの心をくすぐるには十分すぎるほどの魅力を持った小粋なパリジェンヌのような車でした。 ルノー公団は、4(キャトル)や5(サンク)に代表されるように、もともとフランスの大衆車を生産してきたメーカーです。 ルノー5(サンク)は、フランス映画のル・ギャルソンの中で主人公イブモンタン扮するギャルソンが、ペコペコにへこんだ赤いサンクを乗り回していたくらい一般的な車です。 そして、そのルノー5が、現在まで続く僕のルノー車遍歴の第一号車となったのです。 黒のルノーサンクアルピーヌ。もちろん中古車ですが、並みのルノーサンクとは、比べ物にならない・・・というか、まったく別物のような動力性能でした。僅か830kgの車体に1400ccの排気量。 おまけにウエーバーのツインキャブレター装着。 見かけは、おとなしい仔羊ですがこいつは、その皮をかぶった狼です。 当時のカー雑誌で流行のボーイズレーサー(ヨーロッパで発生した高性能小型車)の草分けのような車でした。 当時から、都内の月極駐車場の事情は今と同じで空きはゼロ。代々木公園近くに林立するお金持ちの邸宅の駐車スペースをお借りしてようやく車庫証明が取れたしだいです。 形はサンク、エンジンはアルピーヌチューン。何はともかく憬れのアルピーヌをゲットです。 高嶺の花、A110は、パリの妖精。 さしずめサンクは貧乏なサラリーマンと言った感じでしょうか。でもアルピーヌはアルピーヌ。 26歳の僕は、休みの度にこいつを駆っては食べ歩きに出かけていました。もちろんB級ですよ。 栃木県の足利市。足利詣で。蕎麦好きを自認する僕としては一度は行っておきたい聖地のような所です。 代々木を出発した僕たちのルノーサンクアルピーヌは、明治通りを北上し池袋、高島平と快調に通過して高速に乗り一気に一茶庵までやって来ました。 民家の庭先のような入り口。現在は格式ある店舗に変わったようですが、当時は驚く程簡素なお店でした。 訝(いぶか)りながら様子を覗(のぞ)くとまぎれもなく一茶庵です。とうとうやってきました。 僕達の踊る心に比べてあまりにもそっけない周囲の雰囲気には、少々落胆しましたが、蕎麦を食べるとその不安 は見事に吹き飛んでしまいました。今思い出してもそれはそれは、綺麗な蕎麦でした。更科、田舎そば、茶そば・・・ どれもこれも潔くて純真で、なるほどこれが蕎麦聖と呼ばれる人が心を込めて打つ蕎麦なのかと驚きを隠せません でした。 僕、蕎麦屋に行くと蕎麦しか食べないんです。当たり前ですか。つまり海老天そばとか、きのこそばの類を注文しないと言う意味です。お金や時間に余裕がある時は、塩か焼き味噌。又は鴨山椒か、いたわさをつまみにして ます酒をグビリとやる。 いたわさをご存知ですか?板付きかまぼこを薄く切ってわさび醤油で食べるだけなんですけどね。 蕎麦屋の刺身なんて呼んでます・・・ま、何てことの無い肴で酒を一杯だけ楽しんだら、おもむろに蕎麦をすする。 僕流至福の時間の楽しみ方。 そういえば寿司屋では、違った食べ方をしています。 カウンターに陣取る通(ツウ)と呼ばれる人たちは、最初に突き出しや刺身でいっぱいやりながら職人さんを話の輪に巻き込んで楽しんでいるご様子。 最後に寿司をチョコチョコっとつまんで一丁上がり・・・と言うのが、どうやら粋の象徴のようです。 蕎麦を食べに来たくせに、いたわさを片付けてから、蕎麦を注文する僕が言うのもなんなのですが、寿司屋では寿司をいきなり食べ始めます。そしてあまりベラベラ喋らない。何故かと言うと僕と職人さんの会話が、真横で食べてる人の邪魔になるかも知れないし、何より職人さんも黙って仕事に集中したいはずだと思うからです。 話しがそれてしまいました。どっちにせよ、その頃の僕は、まだまだ寿司なんてとんでもない。 パチンコで大勝したところで駅前の名もない寿司屋の折り詰めを買って帰るのが精一杯だったのですから。 トラック行き交う第三京浜を一杯のラーメンのために横浜中華街までぶっ飛ばしたこともあります。 深緑の箱根を走るのも大好きでした。 東京から小田原に下って行き、箱根新道かターンパイクで山間道に入るより、僕は中央高速を御殿場インターで 降り、乙女峠を経由して千石原(せんごくはら)に向かうルートが好きです。南下して芦ノ湖スカイラインをひと回りする。ワインディングロード(曲がりくねった峠道)は、ボーイズレーサーの真骨頂なんです。 左ハンドルの利点を生かして山側にギリギリまで車体をへばり付けることができる。 そうするとセンターラインを飛び出す心配は無用なので対向車を気にする事はない。 あとは、インを攻め続けている時のタックイン現象(カーブを曲がっているときにアクセルを戻すと車体は、ステアリン グをきっている方向に切れ込む。)に注意するだけ。 テクニックのひとつとしてアウトからダーッとスピードを出してきて、カーブの手前でアクセルを閉じてブレーキを踏み 鼻先を一瞬にして進入方向に意図的に向けさせて素早くコーナーをすり抜けるという手もある。 澄んだ空気と爽やかな風。これこそファントゥードライブ。 霧のない箱根は、ルノーサンクアルピーヌにとって最高の舞台でした。 その後、乗り換えたルノーサンクアルピーヌターボは、高速道路で巻き添え事故に遭い大破してしまいました。 息子に世界のパトカーショーを見せる約束が、何のことはない三重県警のパトカーに乗るはめになっちゃったんで すけどね(笑) 振り返ると、その後もサンク2台、エクスプレス2台、サンクGTターボ、ルーテシア16V,メガーヌ16V,セニックと続いて現在のルーテシアイニシアルが11台目ですから、僕のルノー車遍歴も随分長いものになりました。 ステアリングを握っていると、フランスを感じる。と言えばかっこうを付け過ぎでしょうか? 石畳をキビキビと走るために固めにセッティングされた足回りや、疲れないシート。何よりもボディのデザインが良いですね。食材を仕入れに行く時や、もっと何気ない日常のひとこま。 例えばバゲットが足りなくてパン屋までルノーでひとっ走り。助手席に焼きたてのバゲットを置く。パリパリと音がする。 ほんのちょっとした瞬間に料理のアイデアが閃くことがあります。僕はそんなシュチュエーションも大切にしたい。 フランス料理の料理人である僕が僕であり続ける限り、僕はこれからもルノー一筋でいきます。