■薩摩絣(さつまがすり) 06/05/11up
長い長い冬に終わりを告げ、梅の香りが漂い始めた如月(きさらぎ)の末日に、ポトリと花びらが落ちるように伯母が亡くなりました。
正月過ぎに腫瘍が見つかり僅か数十日の結末に呆然とするばかり。
子の居ない伯父、伯母にとって私は息子同然。幼少の頃からお世話になりっぱなしで、なんの恩返しも出来ないままに天国へ旅立たせてしまいました。
安乗の宝彩海老は一緒に食べたから、今度は安乗ふぐだねと約束していたのに・・・。
それにしても、こんなにも悲しいものでしょうか?昔なら大往生と言われてもおかしくないほどの年齢に達し安らかに永眠した筈。
お恥ずかしいのですが、弔辞を読む時も、涙が溢れて溢れて止まりませんでした。
人と人との深いつながりは自分自身の人間的な成長に大きく影響します。
たとえそれが親戚の伯母であったとしても同じこと。何も大学の恩師や会社の上司ばかりが人生の先輩ではないのです。
私は、伯母を通して沢山のことを学びました。
料理人になってからは、伯母の作るおせち料理で伯父と一杯やりながら味付けを何度も教わりました。
当時日本一と呼ばれた招福楼に連れて行ってもらい日本料理の奥の深さを一緒に覗けたことも貴重な経験。
黒豆をツヤツヤに煮るのは砂糖水を何回かに分けて加えるんでしたね。大豆の時はびっくり水を入れて皮をパーンと張らせるのがコツ。
猪鍋を作るのには余計な出しは無用。猪の肉の味だけで勝負するのだとか。
たつくり、伊達巻、煮しめのしみじみとした旨さ。
でも、あの頃の私はただひとつ高野豆腐だけは好きになれなかった・・・。
たけし・・・このしみ込んだ出しの味を覚えやないかん・・・
怒るのではない。若かった私に落胆する訳でもない。いつかお前はこの料理を好きになるよと見守ってくれる優しさ。
そして伯父と酒を酌み交わした後に食べるごはん。光り輝き甘くて美味しかった。
片手鍋でごはんを10分で炊く伯母は、もう居ない。
伯母ちゃん・・・。美味い。高野豆腐は素朴で華がないけれど本当に美味い。焼酎・・・いや日本酒で、しかも大吟醸でもなく純米酒。もっと言うと醸造酒のようなただの安酒と合わせても引き立つよ。
全てをおおらかに受け入れてくれるような寛容な料理です・・・。シャリシャリの絹さやの綺麗な緑を横に添えた高野豆腐の含め煮は今や私の大好物となりました。
亡くなる数日前に、薩摩絣を着てたけしのところのフランス料理が食べたいと言いました。
「何?薩摩絣って?」無知な私です。色々教わりました。琉球から薩摩藩への献上品だったとか。大島や結城紬
を着尽くした粋人が最後に求める品格と最高の贅沢品。作者によっては軽く大島を越えてしまう。
「絹より高価な綿織物があるの?」「あるよ、見せようか」
伯父にガサゴソ探させていました。でもなかった。・・・良かった・・・。もし見つかったらくれそうな勢いだったから。
代わりに薩摩絣の手提げ袋を見せてくれました。高度な技術と熟練した織り手により作られた上布は崇高な雰囲気で
思わず手に取って見つめてしまった程の存在感でした。
そして数日後の伯父からの電話。覚悟はしていたものの頭はカラッポになり、なんとか仕事をこなして伯母のもとへと急ぎました。
大勢の人。しゃくりあげる泣き声。泣きつかれた親戚の顔。久しぶりの顔もこういう会い方は嫌だ。
伯母を見た。化粧をしてもらって今にも笑い声が聞こえてきそうなくらいに安らかな顔だ。
そして召し物を見た。
ひと目でわかったよ、伯父ちゃん。これがあの時、伯母ちゃんが僕に見せたがっていた薩摩絣。
なんという高貴な綿の着物。さりげなくて品がある。
伯父はこれを伯母に着せて天国へ行かせてやりたかったんだ・・・その思いが神様に伝わってあの時神隠しとなった。
そんな伯父が好きです。
車が買えるほどで布のダイヤモンドと呼ばれる薩摩絣を伯母共々灰にしてしまって思い出だけを残す人。
私は、そんな伯父に毎日心を込めて料理を届けています。
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