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失ってしまった才能(07.09.04) 1973年。僕は京都で暮らしていました。現役受験をことごとく失敗して予備校通いを決意したのです。 仲間の内で同じ道を選んだ者は僕を入れて4人。三人は京都。そして一人は東京へと旅立ちました。 その頃の京都は、まだ市電が走りのどかなものでした。 僕は麻雀の合間に勉強したり、鴨川の土手に腰掛けては、よく本を読んでいました。 予備校のある停留所は烏丸鞍馬口。目標の大学のある烏丸今出川のすぐ近くです。 僅か数分の距離でしかないのに、あちらの世界とこちらの世界では雲泥の差。 何になりたいのかは、未定。ただ希望の大学に入ることだけが目標。そこから道が開けるような気がしていました。 鴨川沿いの散歩道には、手を取り合い楽しそうにいきかう恋人達。 彼女の居ない18歳の僕は、喫茶店どころか上賀茂神社近くの食堂で180円のコロッケ定食の20円を追加したら 豚汁が食べられる誘惑にも応じられない生活を余儀なくされていました。 インスタントラーメンにインスタント焼きそば。街では、チューリップの心の旅が流行りだしていた。 なんか俺って典型的、惨めな浪人生・・・。 東京に行った柘植(つげ)からは、よく手紙が来ました。生き生きとした軽快な文章。 アパートからゼミナールに通う途中の坂道にある喫茶店の可愛い女の子と友達になったんだよな。 毎朝、お前が店の前を通る頃に決まってその娘(こ)が看板を出している。 お前は、意を決して「おはよう!」と声をかけた。向こうもお前のことを気にしていて、弾ける様な笑顔が返ってきた。 それ以来毎朝、挨拶するのが唯一の楽しみになったんだ。 お互いに仕送りをあてにする生活が続く。 きょうは、朝飯にサンドイッチを買おうとしたけど、思いとどまって良かった。 同じ値段でコッペパンと徳用サイズのピーナッツバターを買ったんだけど、たけちゃん、これが正解。 明日は、パンを買うだけで済むから少し金が浮く・・・。と、手紙の中のお前は喜んでいた。 何気ない日常の中でも・・・俺とは違う東京のお洒落な生活。 とにかく予備校の名前からして、○○○ゼミナールと、カタカナで悲壮感も無い。 しかも俺、ピーナッツバターなんて物を食べたことが無いよ。 もちろん僕も返事は書きました。どんな内容でしたっけね・・・。 安い雀荘の麻雀パイは、積むのにポロポロこぼれて苦労するんだとか・・・いかさま博打の見分け方など。 アパートの共同炊事場にある備え付けガスコンロの使用コインは、工事現場から拾ってきたワッカで代用出来るぞ ・・・とか。 どうしても肉が食いたかったのでギターを質に入れて金を作り、コタやん(共通の友達)を連れて焼肉屋に行った。 あの野朗、行く途中で消えやがったと思ったら、その後30分も焼肉屋のトイレに立てこもった。 ようやく出てきたやいなやバカスカ食べる。 聞いてくれるか、柘植。あいつ、人の奢りだと思って薬局寄ってからトイレで浣腸してスッキリ爽やか。大飯に備えたんだぞ・・・。 くだらないことばかりですね。 長髪にオーバーオールがトレードマークだったな。一年の充電期間の後にお前は大阪の大学に進み、 俺はと言うとお前が一年を過ごしたお洒落な街、東京へと向かった。再び、交差。 おっかの上、ひーなげしの花が・・・私の私の彼は左利き・・・。 パチンコ屋ではアイドルのこんな歌。 でも柘植の手紙には、りりィと言うシンガーソングライターの歌を聞けと書いてある。 たけちゃんの好きなジャニスジョップリンのような声だよ。私は泣いてます、ベッドの上で・・・。って歌が泣かせる。 なんでもビールを1ケース飲んでから声を張り上げて喉をつぶしたらしいよ。今、僕が一番気に入ってるアーチスト。 ・・・なんだとか。 流れるような文面と溢れ出る表現力。 まるで封筒の中に柘植が、押し込まれているような錯覚に陥りながら読み進む 今、僕は後悔をしている。・・・残念。僕はあの手紙の数々を押入れの中に、大事に残しておけば良かったと。 サンフランシスコからの絵葉書はどこへ行ってしまったんだろう。 たけちゃん、サンフランシスコは、坂が多い。人々はぎゅうぎゅう詰めの市電に飛び乗っては飛び降りる。 僕も、さりげなくそれが出来る頃には、もうここの住人だ。 いつの頃からか手紙は途絶え僕たちは大人になった。 奴はコマーシャルの制作からデザインまで、その他もろもろの全てをこなす大きな会社に入り活躍していた。 僕もそろそろ修行を終えて自分の店を持つ準備をしていた頃に久しぶりに会った。 店の開店のチラシなどを作ってくれると言う。半信半疑。しかし出来上がった作品を見て僕は、奴の才能にぶっ飛んでしまいました。 まず奴は僕に聞きました。僕の店に対する考え。店名の由来。どんな料理を出すのか、どんなワインを置くのか。 店の図面と睨めっこして、壁や天井の色を尋ね、テーブルの配置、皿の種類とカトラリーに目を向けました。 そして開店日が近づき、段ボール箱に入ったオープンの案内状が届いたのです。 硫酸紙に黒字で印刷された洒落た文章に感嘆の声が出たのは言うまでもない。 「お友達のご家庭へおよばれに伺う。そんな気分でお越し下さい。 むづかしい顔をして、肩肘張らずに、もっと精一杯愉しく一日を過ごす。くよくよしたってはじまらない。 温かなスープと一片のパン、それにワインが食卓に並んだだけで至福のひとときが訪れる。 少しばかり考えを変えただけで人生はこんなにも楽しくなります。 ボン・ヴィヴァン。仏語で人生を愉しむ人。フランス人気質を表す言葉。型にとらわれず美味しい物を美味しく めしあがっていただく、しごくあたりまえのお店が9月10日誕生します。」 この文面にきっと今までには無い新しい何かを感じ取ってくれたのでしょうか? おかげさまで沢山のお客様が開店早々から訪れてくれました。 子供連れのお客様が多くて困っていたときは、パンフレットにこんな言葉を添えてくれました。 「心苦しいのですが、小さなお子様にはご遠慮いただいております。コースで召し上がっていただく場合で約2時間。 小さなお子様にとって決して快適な長さの時間とは申せませんし何よりゆったりした時間の中で心から食事を 楽しんでいただくための我がままだとご理解下さい。」 こんな言葉で走り回る子供達の母親を優しく諭してくれたのです。 お恥ずかしい話、趣味が高じてアンティークウオッチの専門店を始めたことがありました。 僕は柘植に熱弁しました。腕時計は男の武器。女のようにブレスレットや指輪で飾らないぶん腕時計の趣味で 男の価値をはかられる場合だってあるんだということを。 僕の気持ちを代弁してくれた柘植。 「自分自身を磨くために、また更なる高まりを目指すために、アンティークウオッチから少しばかりの''時代の''' エネルギーをお借りするというのはいかがでしょうか。いかにつましく、密やかなものであったとしても、目を止め、 あなたの人格を深く認めてくださる好事家は決して少なくないはずです。」 ああ・・・日本語と言うのはなんと奥行きがあり思慮深いものなんだろう。 柘植が生み出す魔法の言葉に酔いしれた僕は触発されてしまいました。 元々好きだった読書に拍車がかかり、何か無理矢理題材を作っては文章を書く。起承転結。ユーモアの置き所。 ここで柘植ならどういう風に書くんだろう。考えて自分らしく表現してみせる。繰り返し繰り返す。 それからは、こんな僕の文章ですが独り立ちをすることになりました。 三重県立美術館に出店が決まったのを機会に新しいパンフレットを依頼したのが4年前。 大阪からやって来て手際よくスタッフに指示を出し、今度は、たけちゃんの料理を食べさせてね、と言葉を残して電車に飛び乗った。 忙しい社長だな・・・。(株)放送出版プランニングセンター代表取締役社長 柘植俊彦 若くしてお前は、溢れる才能と人格で入社した会社のトップにまで上り詰めた。 そして先日、癌で命を亡くした。料理を作る約束は、もう無理な話し。 まぎれもなく柘植は死んだ。そして、過去の偉大な芸術家と同じように多くの作品を残してくれた。 優しさに包まれるお前の文章の一字一句を読み返すたびに涙が頬をつたい、その才能に感嘆する。 「晴れの日を華やかに彩る料理。乾いた気持ちをそっと慰めてくれる料理。 幸福な気持ちをさらに倍加させてくれる料理。ひと皿の料理に閉じ込められた素材の力と、そこに傾けられた料理人の思いは、ひと皿の料理を、人生を愉しむ小道具へと昇華させてくれます。 声高に作り手のこだわりを並べたて、素材の良さをアピールするより、お客様にほんの少しでも幸福な気持ちが提供できるレストランでありたい。細工職人のような技巧を誇るより、目の前の火と戯れながら料理を創造し続けたい。 それは、私達が20年の永きにわたって守り続けてきた(一番愛する人を思い料理をつくる)姿勢へとつながります。 たかがひと皿、されどひと皿。私たちは、ひと皿が持つ大きな力を信じます。」 柘植、いつか俺がお前のところに辿り着いたら約束どおり、腰を抜かすぐらい美味しい物を食わせてやるからな・・・。